1929年、大阪に本店のあった「大正屋呉服店」を中島本町(当時の町名)に建てました。当時は3階までショーウィンドウを備えたモダンな雰囲気の店として市民に親しまれていました。しかし、太平洋戦争後に経済統制が強化された影響で1943年に閉店しました。この後建物は広島県燃料配給統制組合によって買い取られ、組合事務所として使用され、「燃料会館」と呼ばれました。戦後も暫くは燃料会館として使用されていましたが、1957年には広島市に買収され「東部復興事務所」となりました。さらに1982年に改装され市観光協会の事務所となり、「レストハウス」と名称を改め、現在に至っています。建物内に創建当時の面影はほとんど残されていませんが、地下室だけは被爆当時のまま保存されています。原爆被災の中心となった中島地区で、ただ一つ残った戦前からの建造物です。
地下1階も見学ができ、その際は安全の為にヘルメットを着用します。。また火災による商品の延焼を防ぐ様、地下室は壁が厚く作られていた為、当時地下で作業していた方は爆心地から至近距離だったにも関わらず、奇跡的に助かったのだそうです。