1965年開通し、「平和大通り」の名は1951年公募で決定しました。太平洋戦争末期に整備された防火帯(疎開道路)の一つに、戦後すぐの日本政府方針である戦災復興都市計画から派生した100m道路計画が実施されることになり、それに国際平和文化都市として発展していく広島市において象徴化していった公園道路です。1946年10月「広島復興都市計画」が立案した時に主要道路として組み込まれたものであり、今日における広島市都市計画の基礎となった「広島平和都市建設計画」が1952年3月立案した際にはこの道路が市内における道路計画の基本軸となりました。舗装は、平和大通りが整備された当初はコンクリート舗装でその後も部分的に残っていましたが、2010年代初頭に全面アスファルト舗装になりました。
市民が利用する生活道であると共に、平和公園へ訪れる観光客が利用する道であり、多くの人々が通行する通りです。毎年5月に開催される平和の祭典ひろしまフラワーフェスティバルの会場にもなります。また冬場は平和への想いを込めたイルミネーションとして、平和大通りなど広島市内中心部を約140万球の光でライトアップします。来場者が触れたり光らせる事ができるイルミネーションや、イルミネーションの一部になれる様な撮影スポットも設けられ、来場者参加型のライトアップが展開されています。