五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に、江戸幕府により蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された、五稜郭は箱館開港時に、函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造されました。しかし、1866年(慶応2年)の完成から、わずか2年後に幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後に、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となりました。明治に入ると、郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用されました。その後、1914年(大正3年)から、五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっています。星形の城郭は、防御側の死角が少ないなどの利点があり、当時ヨーロッパを中心に、広く普及していました。幕府は、開港に伴う防備強化を図るため、五稜郭築造に着手しました。しかし、建設途中で財政難に陥り、一部の計画変更を余儀なくされました。
見どころ
五稜郭公園として一般開放されるようになった1914(大正3)年以降は、春に約1600本のソメイヨシノなどが咲き誇る、道南有数のサクラの名所、また、人気の高い観光地、地元市民にとっての憩いの場として、その役割を様変わりさせています。かつて、この地で戦いがあったとは感慨深いものがあります。ここから近代日本の歩みは始まったのかもしれません。そういったことも考えますと、この地は「近代日本の始まりの地」と言えるでしょう。