山王神社の前身は1648年(慶安元年)に創建された「円福寺」です。その後、1868年(明治元年)に「山王神社(日吉神社)」と改めれられ村社に列しました。その後県社の皇大神宮に合祀されたことにより、現在へと続くの山王神社が創祀されました。別名として、浦上皇大神宮や山王日吉神社とも称します。昭和20年8月9日の長崎市への原爆投下によって、爆心地から800メートルという至近距離で被爆し、一本柱鳥居と呼ばれる片方の柱だけで立っている二の鳥居や死滅する寸前の被害を受けながらも一命を取り留め、その後豊かな緑を取り戻した大楠が被爆の歴史を伝えています。
この、被爆をしながらも被爆前の姿をとどめている山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)と樹齢500~600年の被爆クスノキとの呼ばれる大楠は、原爆遺跡として貴重な存在となっています。山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)は爆心地側の半分が被爆の際の爆風によって吹き飛ばされ、その際に吹き飛ばされずに残った上部の笠石も風圧によって約13度ねじれ曲がったものの、片方の柱に残った形で姿を留めました。また、原爆の熱線によって表面が剥離し、爆心地側の面のみ、刻まれていた奉納者の氏名の一部が読めなくなっており、被爆時の威力を伝える存在として山王神社の見学スポットとなっています。
長崎は坂道が多くてひとりで巡るのは体力も時間も要りますが、長崎市街地に点在する観光地を短時間で効率よく巡る事ができました。小さいサグラダ・ファミリアの様な教会も訪れました。
タクシーの運転手さんは豊富な知識で長崎や各観光地について色々... 続きを読む