咸豊2年(1852年)アメリカの奴隷船、ロバート・バウン号内で奴隷にされたことを知った中国人苦力およそ400人は暴動を起こし、船長らを打ち殺し奪った船を操縦しましたが、石垣島の崎枝村沖合で座礁してしまいました。崎枝村に上陸した380人の苦力は収容所に収容された後、離礁したバウン号の報告を受けたイギリス船が収容所を砲撃しました。さらに武装したイギリス兵士、アメリカ兵士が上陸し、逃走した苦力を厳しく探索し、射殺・捕縛されたのです。捕縛をまぬがれた中国人は琉球王国に保護されましたが、中国に送還された生存者は172名でした。その間、病死、自殺あるいは行方不明となった中国人を弔うためにつくられたのが、三百唐人墓れる古い石積みの墓で、近年まで付近に点在しておりましました。現在、陶製の墓碑が八重山博物館に収蔵されております。
唐人墓は中国をイメージさせるようなデザインとなっており、極彩色の龍や三国志にでてくる武将、関羽を思わせるような騎士の像が繊細に装飾されております。また、同じ敷地内には太平洋戦争末期に犠牲となった米軍飛行士の慰霊と平和祈念の為、建てられたものもあります。近くには灯台があり、観音崎展望台から海を一望することができます。
午前の石垣島観光で、効率よく名所を回ることができ、ガイドの解説も楽しく良い時間を過ごせました。また空港で途中下車できたのも良かったです。