仲宗根豊見親の墓は、仲宗根豊見親が父の真誉(まゆのふぁ)の霊を弔うために建立したお墓です。仲宗根豊見親は15世紀の1457~1464年頃に生まれ、15世紀末から16世紀初頭に宮古島の支配者として君臨し、16世紀初頭に亡くなりました。宮古島は沖縄本島から約290kmの海を隔てており、民族や文化、歴史、風習、言語も異なっていました。宮古の支配者となった仲宗根豊見親は、中山(琉球)による八重山征伐や与那国征伐の先鋒を務め、琉球王家に朝貢して忠誠を尽くしています。
仲宗根豊見親の墓は、漲水海岸を見下ろす小高い丘の上にあり、前面には13段の階段状に石を積み上げ、その上に7基の石柱が並んでいます。宮古独自のミャーカ式と沖縄本島の横穴式の折衷様式になっており、宮古島一の巨大なお墓です。仲宗根豊見親は各村に税制を定め、中山(琉球)に年貢を収め朝貢関係を強化した人物です。1500年には八重山諸島(石垣島)の豪族を中山が責める際も先鋒を務め滅ぼしました。琉球王家には仲宗根豊見親が献上した「治金丸」という宝刀が伝わっています。
ガイドさんは朗らかな方で、島の歴史などをじっくりお話してくださいました。訪れた日が旧暦1/16でしたので、普段と異なる風景を目にする機会となりました。あっという間に時間が過ぎて、終了時刻をオーバーしましたが、参加して良かったです。