1696年の大地震の復旧の土木事業の一環として、宮古の治山、土木工事が精力的にすすめられ、漲水石畳道も二間半に拡張されたと推測されています。18世紀初頭の薩摩藩の時代には政庁である蔵元にそって、漲水御嶽前から祥雲寺北東まで続いていました。明治の廃藩置県後もほぼ完全に残っていましたが、1921年に(大正10年)平良港の築港や1942年(昭和17年)の宮古神社移転工事、また第二次世界大戦によって戦後は3分の1のみが残っています。
【漲水石畳道】漲水石畳道は17世紀に拡張工事がなされた石畳の道で、現在はかつての3分の1が残っています。市の史跡に指定され、宮古島の歴史を感じるスポットです。漲水御嶽や宮古神社を訪れる際に散策してみられてはいかがでしょうか。【漲水御嶽】御嶽はかつての琉球地方各地にある礼拝所で、本土でいう村の神社のように各地域や村に御嶽があり、守護神として各種の祭祀が行われていました。漲水御嶽は琉球王国の建国前から宮古島にあったもので、宮古島固有の神話と伝説の舞台となっています。
ガイドさんは朗らかな方で、島の歴史などをじっくりお話してくださいました。訪れた日が旧暦1/16でしたので、普段と異なる風景を目にする機会となりました。あっという間に時間が過ぎて、終了時刻をオーバーしましたが、参加して良かったです。