忠導氏は16世紀初頭に宮古島を支配した仲宗根豊見親を祖とする一族で、勢力と財力を誇った系統です。アトンマ墓がいつごろ造られたかはっきりわかっていませんが、「忠導氏系図家譜」から、この墓が整備されたのは十二世玄似~十四世玄安・玄盛(1764~1871年)の頃と推定されます。十四世玄安・玄盛は、十三世玄陳とそのアトンマとの子で、1863年から1871年まで権勢を誇った人物です。宮古島では知利真良豊見親の墓、仲宗根豊見親墓、アトンマ墓の3つの墓が「豊見親墓」として国の有形文化財に指定されています。
アトンマ墓は、中世の宮古島の支配者であった忠導氏一門の側室たちを埋葬した墓です。宗根豊見親墓のすぐそばの奥まったところにあります。土台は岩盤に大型の切石を積み、墓室前には小さめの切石を積みあげてあります。また入口には通用門にアーチ型の一枚岩をのせてあり、通用門から墓室への墓庭の中央には、階段につづいてゆるい溝が設けられており、宮古島では珍しい形のお墓です。国の有形文化財に指定されているお墓なので一見の価値はあります。
ガイドさんは朗らかな方で、島の歴史などをじっくりお話してくださいました。訪れた日が旧暦1/16でしたので、普段と異なる風景を目にする機会となりました。あっという間に時間が過ぎて、終了時刻をオーバーしましたが、参加して良かったです。