戦国時代に武田信玄の本拠地とされていた躑躅ヶ崎館でしたが、武田信玄亡き後の武田勝頼の代には他城への移転もあって、徐々に甲府における中心的な役割を他へ譲っていきました。織田氏により武田氏が滅亡された後は、甲府城が築城されたこともありその役割を終えます。明治期に入ると、軍神として名高かった武田信玄を祀ろうという運動が盛んになり、武田信玄の従三位追贈をきっかけとして、武田神社奉建会により1919年に社殿が竣工されるに至ります。
毎年、武田信玄の命日にあたる4月12日には、例祭が行われ、多数の観光客が訪れます。前日の夕方には、甲州軍団出陣式の後、1000人以上が街の中を行進します。例祭当日は24人の騎馬武者の格好をしたお供と共に、神輿が遊亀公園等を巡幸します。また、6月30日には「夏越祭」が開催され、犯してしまった罪を紙の人型になぞらえ、茅の輪をくぐってお祓いする茅の輪くぐり等、有名な行事が執り行われます。重要文化財に指定されている有名な太刀、吉岡一文字も奉納されています。
武田神社は時期的に七五三のお参りが多く駐車場待ちの列ができていましたが、先に降ろしてもらって駐車場待ちの時間を無駄にすることなく観光できました。全て運転手さんにお任せで楽でした。