清代乾隆年間 (1644年〜1795年)に福建省から移民が 平渓に住み始めました。地名を「石碇堡」とされていましたが、日本統治時代になると台湾総督府が「石底」と「十分寮」の2つの地区に分けました。1920年10月、地方改制にともない「 石底」と「十分寮」は合併し「平渓庄」となりました。戦後は「平渓郷」、2010年12月25日に「平渓区」と改編されました。 十分は昔、10世帯の住民の家があったことが由来とされています。 平渓の十分は、鉱業がくに開発された街です。
現在は、 旧暦にかかわらず1年を通じて参加することができます。 赤いランタンは、健康運、 青色は仕事運、黄色は金銭運、ピンクは恋愛、結婚運とそれぞれ意味があり、筆で願い事を書きます。自然が豊かで台湾のナイアガラの滝と称される十分の滝、 基隆河に架かる静安吊橋、眼鏡のように見える眼鏡滝などを見ることができます。十分は石炭採掘で栄えた街でもあり、台湾石炭博物館では当時の様子を伺い知ることができます。
ガイドの方がすごく丁寧に案内してくださり、台湾初心者でも3箇所を回れすごく快適なツアーでした!また、おすすめのお店や台湾と日本の違いや、自分たちだけでは分からなかった事も学ぶことができとても良かったです!