忘れられない一日になりました。
投稿者: まるえがお, 2018/06/04 ユダヤ人に寛容だったポーランドが抱える悲惨すぎる歴史を振り返る、忘れられない経験になりました。
私個人の事情で、開始時間が1時間遅れてしまったものの、それを感じさせないほど充実したツアーでした。
グジボフスキ広場とノジークシナゴーグを最初に訪れ、ゲットー蜂起記念碑へ。さらにムラフフ地区を歩いてウムシュラークプラッツに向かいました。歴史の知識が豊富なガイドさんの話に耳を傾けながら、「戦場のピアニスト」のシーンを思い出しながら歩くと、胸にせまるものがあります。
プラガ地区では、いまだに使われている戦火を免れた建物群を見て歩き、木造の階段をのぞいてみたり。再開発の進む地区で、まだ残る歴史の生々しい跡を見ることができ、感慨深いものがありました。
ホロコーストの歴史に対して、現在のポーランドの政権やポーランド国民がどういう意識で向き合っているのかなど、1を聴けば10返ってくるガイドさんがいてくださり、ほんとうに勉強になりました。
評価: | |
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利用形態: | カップル・夫婦 |
参加日: | 2018/05/30 |
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[はい]
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ユダヤの歴史プライベートツアー
投稿者: KAZU, 2017/05/07これしか空いてなかったので参加した次第
しかしハーフのガイドさんが各種の写真資料や彼のひいおばあちゃんとおばあちゃんの話しをしてくれ、震えあがった。
そしてクラクフでアウシュビッツに行き、帰国してから日本人の収容所 日系人部隊のTVをみて人ごとで無いと思い、ワルシャワゲットーが我々にも降りかかる話しと感じた次第
明暗を見れて旅行の価値が100上がった
本当に参加してよかった。
ガイドの彼に感謝します
評価: | |
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利用形態: | ひとりで |
参加日: | 2017/04/27 |
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熱意あふれるガイドさんによって、第2次世界大戦時にワルシャワで起こったホロコーストを知るツアー
投稿者: フォンティン, 2017/03/14 宿泊したホテルのロビーで約束の時間(15時)に待っていたら、ガイドさんが15分すぎに声をかけてくれました。たしか15時にその人を見かけましたが、お互いに認識できなかったようで、ちょっとツアー開始が遅れました。ホテルの前には1970年代の車、明るい黄色の「ポルスキ・フィアット」が停まっており、感じのいい運転手さんが笑顔で迎えてくれました。この車、ときどき「ブルン!ブルン!」とエンストを起こしそうになり、街を走っていると通行人の注目を浴び、よく写真に撮られていました。
ガイドのHAYATOさん(男性、20代前半か?)は、ユダヤ系ポーランド人と日本人のダブル(ハーフではない!)で、おばあさん(映画『戦場のピアニスト』の主人公シュピルマンとは知り合いらしい!)は、ワルシャワ・ゲットーにいたホロコーストの生き残りだそうです。そのため、おばあさんから聞いた体験談もガイド内容に盛り込まれ、普通の人の体験した歴史を知ることができて良かったです。
ツアーは、ワルシャワの人たちが瓦礫を積み上げ、復興させた旧市街の説明に始まり、今はあとかたもないワルシャワ・ゲットーの跡地をめぐり、ユダヤ人墓地も訪れました。今は墓を守る人がすべてホロコーストで死に絶えてしまい、荒れ放題になっている墓地を見て、歴史の悲劇を痛いほど感じました。そして、今日高層ビルの立ち並ぶワルシャワの町には、明らかに社会主義時代の建物(文化宮殿はその代表)とわかるものもあちこちに見られ、戦中戦後の歴史がここに凝縮されているのを目の当たりにしました。
歴史の教科書では「1939年9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻して、第2次世界大戦が始まった」としか習いませんが、そこでどれだけのユダヤ人、あるいはポーランド人の無辜の市民の命が奪われたのかがよくわかりました。HAYATOさんの日本語は一部ぎこちないところもありますが、「自分の知っていることをすべて伝えたい!」という熱意にあふれ、ワルシャワで起きた悲劇を伝えるのが自分の使命だと感じているようでした。
このツアーを通じて、個人での訪問ではおそらく無理であっただろう体験をすることができました。わたしは教員なので、ここで体験したことを次の世代に伝えていきたいと思っています。
HAYATOさんと運転手さんに心からの感謝を捧げます。
追記:途中、立ち寄ったチョコレート・ショップ「Wawel」でテイクアウトしたココアは絶品でした。
評価: | |
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利用形態: | ひとりで |
参加日: | 2017/03/09 |
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