加賀一向一揆の拠点でだった浄土真宗の寺院を、織田信長が攻め落として金沢城が築かれました。佐久間盛政に与えられましたが、羽柴秀吉が滅ぼすと前田利家のものになりました。利家は1592年から改修工事を始め、曲輪や堀を拡張したり、5重の天守や櫓を建てたりしました。1898年には陸軍第9師団指令部が置かれ、第二次世界大戦が終わるまで使われていました。1949年から1995年までは金沢大学が置かれていました。
金沢城は、櫓を多く用いた典型的な平山城です。瓦には冬の積雪対策として軽い作りになっており、有事の際には鉄砲弾の働きをする鉛瓦を使いました。当時周辺には大手堀、いもり堀、百間掘、白鳥掘がありましたが、私たちが見ることのできる現存した堀は大手堀です。またいもり掘は復元作業によって水が張られています。石垣は復元工事で再現されています。石が接合する部分を隙間なく並べる技法や、加工のない自然な石を積み上げる技法などが使われています。
昼とは違い人も少なく、静かでゆったりとした時間が流れる街は日中とはまるで違う別物の観光地と感じました。
いつも自家用車で観光をしている友人ですが夜のライトアップは初めてとのことですが 良かったと喜んでました。
金沢には蟹目当てで足を伸ばしました。観光は限られた時間で金沢の良いとこどりを狙った。
雨模様でしたが見所をプロの目で押さえてくれた。とてもお金では買えない時間でした。