戸隠神社奥社は、孝元天皇5年(紀元前210年)に創建されたと伝えられており、中世には戸隠修験が一大勢力を築き、建物が並ぶさまは「戸隠三千坊」として知られていました。戦国時代には甲斐の武田、越後の上杉の両軍の戦闘に巻き込まれますが、江戸時代には幕府から朱印地を認められ、再び多くの参拝者を集めるようになります。明治時代には神仏分離令によって神社となり、かつての奥の院から奥社と改めて現在に至っています。
戸隠神社奥社は、かつての戸隠修験の根拠地であり、神仏混交の壮大な霊場となっていたところです。このため、参道は傾斜のきつい山道となっており、途中には茅葺き屋根の赤い随身門が建っているほか、樹齢400年といわれる杉並木が続いています。参道入口には戸隠森林植物園もあり、ミズバショウなどの豊かな自然が残されています。奥社には「戸隠三十三窟」とよばれる岩屋があるとされていますが、非公開のため社殿背後の巨石からその雰囲気をうかがい知ることになります。