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四国・香川県の名刹「本山寺」で国宝を旅する~木造の美しさに魅せられる~

四国の神社仏閣と言えばお遍路さん、四国88カ所霊場のイメージがあります。

なかでも香川県は、弘法大師空海が生まれた善通寺など名刹が多いところですが、今回は国宝がある本山寺をご紹介します。

「歴史的建造物」としても様々な時代の文化が重なり合う魅力溢れる場所ですので、ぜひ最後までお読みください。

本山寺~四国お遍路札所の中でも屈指の観光寺院

本山寺とは

本山寺は香川県三豊市にあり、JR予讃線「本山」駅からおよそ1km、駐車場もあります。
​​​​​​正式名は七宝山 持宝院 本山寺(しっぽうざん じほういん もとやまじ)です。宗派は高野山真言宗で、本尊は馬頭観音です。

四国88カ所霊場の70番札所、本山寺は807年、平城天皇の命で 弘法大師空海 によって開かれました。高野山真言宗の準別格本山で、中世までは24の塔頭をもつ四国随一の有力寺院として栄えました。

仁王門から入る広い境内には正面に本堂、両側に大師堂と五重塔が建つ、風格ある霊場です。本堂は国宝、仁王門は国指定重要文化財です。五重塔とともに紹介していきます。

国宝の本堂

仁王門を入って正面の 本堂は国宝 です。四方5間、軒一重、 寄棟造、向拝3間、 本瓦葺き。 正安2年(1300年)に再建されたものです。 典型的な中世密教建築で、和様を基調に一部に大仏様や禅宗様がみられます。 外観は京都風で、内部は奈良風です。 江戸期の修理で江戸時代風の外観に改変されましたが、昭和27〜30年 の修理で鎌倉様式に復元されています。

古建築の修理はおおよそ100年に一度は行われています。この本山寺の本堂も、昭和と江戸末期の2度の修理があったことは記録でわかっていますが、建立されてから700年間のあいだには、室町時代、安土桃山時代、江戸時代など数回の修理を経ていると思われます。瓦や建具などは交換されているでしょうが、躯体となるほとんどの 材料は700年前 のものです。傷んだ箇所を取り除き、新しい木材で継ぎ当てています。

かつては多数の伽藍が本堂を囲むように建っていましたが、戦国時代に長曾我部元親の讃岐攻めにより、本堂と仁王門、五重塔を残して焼失しました。

弘法大師空海が彫った馬頭観音が本尊というのは四国88カ所霊場のなかでもここだけです。

国指定重要文化財の仁王門と五重塔

仁王門は国指定重要文化財 です。8本の柱で支える重厚な仁王門、という表現がお遍路の札所ガイドブックなどには多く出てきますが、実のところ重厚なイメージを与えてくれるのは8本の柱というより、切妻屋根のシンプルなスタイルです。正面の屋根が広く見える切妻に本瓦葺きの組み合わせによって重量感が強調されています。

それに比べて、 五重塔はすーっと伸びた軽やかな印象 です。これは逓減率が少ないため見るものにそういう印象を与えます。逓減率とは上へ行くほど小さくなる割合です。

もともと本山寺の五重塔は1200年前の創建間もない809年に弘法大師によって建立されたと伝わり、戦国の戦禍にも免れましたが、明治時代の1910年になって建て替えられました。おそらく以前の五重塔は少しイメージが違い、逓減率が大きいずっしりとした安定感のあるタイプだったことでしょう。

というのは809年の建立ですと平安時代の初期なので、そのころに建てられている五重塔はみな逓減率が大きいものだったからです。明治時代に再建された時はすでに技術的にも向上していたため、このようなすーっと軽いイメージの塔建築が可能になりました。再建から100年後の最近、改修工事が行われました。

本山寺の五重塔は新しい建築のため 文化財の指定はありませんが、このエリアのランドマーク になっています。

五重塔を見ていると、 古代の建築の強さと美しさに呆然 とするしかありません。現代はこれより何倍も高いハイテクビルやタワーがどんどん建ちますが、ほんの100年後には解体される運命でしょう。古くなったと言われる東京タワーでさえまだ60年です。鉄骨やコンクリート造りには利点もありますが、部分的な補修をするということが困難です。

私たちが木造の古建築により強さと美しさを感じるのは、人の手で修繕され、500年、700年、1000年という途方もない時間と世代を越えて人間の手で繋がっているからかもしれません。バトンを引き継いだその時代の人たちの信仰心や祈りによって、飛鳥時代や平安時代の人たちが見た建物とほぼ同じものを1000年後の私たちも見られていることになります。

七宝山 持宝院 本山寺

五重塔とお遍路

五重塔は四国88カ所霊場のなかでは竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけです。

実は五重塔の本体は、相輪と呼ばれる先端の金具部分です。らせん状になっている部分から上です。五重塔はもともとお墓、というより納骨をする場所という発想で、お骨をなるべく高い位置に納めるために塔になっていったといいます。

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