1791年、市の城壁が撤去された後、城壁門に変わって広場が作られました。その直後から、この広場沿いにあるレジデンツからニンフェンブルグ城までの通りを、より印象的にするための計画が始まりました。1816年になって、ルートヴィッヒ1世により建設の命が出され、通りを含む周辺の建物の設計・建築をレオ・フォン・クレンチェが担当しました。完成以来、オデオン広場は、歴史的に重要なパレード、市民の集会が行われる場所ともなってきました。
【フェルトヘルンハレ】1841-1844年に、フリードリッヒ・フォン・ケルトナーの設計で建築された将軍廊には、名高い将軍ティリー伯・ヨハン・セルクラエスとカール・フィリップ・フォン・ヴレーデの像が置かれています。1892年には中央にバイエルン軍祈念像が、1906年には大理石のライオン像が加えられました。オデオン広場は、1923年に、ヒットラーらが起こしたミュンヘン一揆で銃撃戦となった場所でもあり、以降、ナチスが殉教の地として「フェルトへルンハレ」を党のシンボルとして利用したという歴史があります。