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【6月5日は池田屋事件の日】京都で新選組ゆかりの史跡巡りを楽しもう

歴史好きの方には有名な池田屋事件。新選組の功績の中でも一番といっていいほどの事件であり、これをきっかけに新選組の知名度があがりました。

池田屋事件が起こったのは元治元年6月5日(1864年7月8日)です。

今回はそんな池田屋事件を紹介するとともに、京都の新選組関連の史跡巡り情報をお伝えしていきます。

池田屋事件とは?

当時、京都では尊王攘夷派の志士(長州藩・土佐藩など)が幕府と対立していました。 新選組は幕府方・会津藩の支配下 であり、京都の治安を守る京都守護職の下で尊王攘夷派の志士の活動に目を光らせ、警備を行うという仕事をしていました。

そんな中、枡屋喜右衛門(古高俊太郎)という商人が実は尊王攘夷派の志士数人と通じていることがわかり、新選組は元治元年(1864年) 6月5日早朝に枡屋喜右衛門(古高俊太郎)を捕縛。

「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)」 という計画があったことを知ります。

新選組は会津藩の援護を待たずに独自にこの計画を止めるべく行動を開始します。

夜になり、 京都三条木屋町にある旅館・池田屋 に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を発見し、部屋に突入。斬り合いの激戦になります。

新選組は数名の犠牲者を出したものの、首謀者を含む9名を討ち取り4名を捕縛、また翌日も残党を掃討し、戦果をあげました。

三条大橋の西側から二つ目の擬宝珠に、池田屋事件の時のものと思われる 「刀傷」が残っています。

池田屋事件の結果は?

「御所焼き討ち」という恐ろしい計画を未然に防ぐことに成功した新選組の名は天下にとどろいたといいます。一方、尊王攘夷派は中心人物を失い大打撃を受けたと言われています。

池田屋事件があった6月5日は旧暦であり、現在でいう7月8日 にあたります。この日は当時の 祇園祭の宵々山(本祭の前々日の夜) です。

放火の計画は祇園祭の前の風の強い日で、池田屋事件は宵々山…ということだったので、まさに 一刻を争う事態 であったことが分かります。

新選組関連史跡巡り

池田屋は現存していませんが、新選組には 「屯所」 と呼ばれる拠点があり、主に京都で活動していました。

京都には、他にも新選組の活躍を感じられる史跡やお寺などのスポットがたくさんあります。

今でも新選組好き、歴史好きの方が多く訪れる人気の場所が多く、どこもアクセスの良い場所ばかりなのでご紹介します。

池田屋跡

池田屋は残念ながら現存していません。現地には 「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑 がたっています。

池田屋事件後、尊王攘夷派の志士を匿っていたとして旅館・池田屋の主人も捕縛されたといいます。そして営業停止や再開もあったようですが、廃業。その後別の経営者により「佐々木旅館」として営業していたようですが、取り壊されテナントビルに。ケンタッキーやパチンコ店などを経て、 現在は新選組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」 になっています。

新選組好きの方はこの地で食事をするのもありかもしれませんね。

壬生寺

新選組は文久3年(1863)3月に、 京都の壬生という場所 で結成されました。本拠地である屯所として使われたのが八木邸(のちに前川邸・南部邸も)であり、 近くにあった壬生寺境内は訓練所 として使われていたといいます。

壬生寺は現在でも誰でも自由に参拝することができます。

壬生寺境内の東方に新選組の塚がありますが、 壬生塚 (新選組隊士の墓所) 壬生寺歴史資料室 (壬生寺阿弥陀堂の地階)エリア として大人200円、小・中・高生100円の有料制になっています。

壬生塚には新選組隊士の墓 などがあり、新選組ファンの方は必見スポットです。

八木邸

新選組が結成されてまずはじめに屯所としたのが 八木邸 です。

八木家は壬生のまとめ役のような役割をしていたため、幕府とも関係があり、新選組を預かったとも言われています。現在八木邸は新選組ゆかりの場所として残る貴重な場所でもあり、 京都市指定有形文化財 に指定されています。

実際に有料で内部を見学することも可能です。

八木邸では新選組の内部抗争・芹澤鴨暗殺 が起こり、 刀傷も実際に残っています 。他にも隊士が使っていた部屋をはじめ、当時を思わせる様々な品をみることができます。

ガイドさんがつくためファンにはたまらない話をたくさん聞くことができ、見ごたえたっぷりです。

慶應元年(1865年)夏、新選組は西本願寺に屯所を移したため、新選組にとっては3年ほどの滞在になりましたが、 最も多くの新選組の痕跡が残っている場所 といえるかもしれません。

前川邸

前川邸も屯所のひとつとして使われました。

現在は住居であるため公開はされていませんが、 玄関(当時の勝手口)の土間の部分を店舗として新撰組グッズを販売 されています。

勝手口は当時隊士たちが行き来し、雨の日には剣術の練習にも使われたという場所だそうで、実際に当時の光景も浮かんできそうですね。

営業は土曜、日曜、祝祭日のみということですが、オリジナルグッズも多いためぜひ押さえておきたい場所です。

油小路

新選組の内部抗争・油小路の変 が起こったのが七条油小路の辻です。

新選組に途中参加した伊東甲子太郎は、新選組から離反し、御陵衛士(ごりょうえじ)という組織を結成。新選組を襲撃し乗っ取るという計画があることを知った新選組は逆に伊東を襲撃します。そして集まってきた他の御陵衛士たちを壊滅させたといいます。

この一連の事件を油小路の変といいますが、この事件が起こった七条油小路の辻には 伊東甲子太郎最後の地 や、 供養碑のある本光寺 があります。

本光寺では山門開門時はお参り可能ということで、油小路の変で亡くなった伊東甲子太郎たちにも手を合わせられるので、気になる方は訪れてみてくださいね。

猫をモチーフにした、月ごとに変わる御朱印がとってもかわいいです。

新選組好きは京都で史跡めぐりがおすすめ

新選組ファンの方はすでに京都で史跡巡りをした、という方も多いかもしれませんが、 祇園祭の時期に池田屋事件の雰囲気を感じながら史跡巡りをしてみるのもおすすめ です。

新選組は名前くらいしかしらない、という方も、京都の新選組関連スポットはどこも訪れやすい場所にあるためちょっと観光の合間に寄ってみるということもできそうです。歴史の勉強や新たな興味にもつながるかもしれません。

祇園囃子を聞きながら当時に思いを馳せ、史跡巡りはいかがでしょうか?

出典・参考

  • 書籍「新選組 高台寺党」市居浩一(新人物往来社)
  • 書籍「池田屋事件の研究」中村 武生(講談社現代新書)

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