山王神社は長崎市坂元町にあり、長崎電気軌道の大学病院前停留所から徒歩5分、長崎バスの坂本町バス停から徒歩2分というアクセスに便利な位置にあります。市内の中心地で、爆心地から800メートルという距離であったため爆風によって4基あった鳥居の内の2基は倒壊し、残りの二基の内、二の鳥居だけが、鳥居の片方の柱が吹き飛んでしまい、もう片方の柱だけで立っている状況です。もう一基爆風による倒壊を免れた一の鳥居は1962年に交通事故により倒壊してしまったため、山王神社に残っている鳥居は二の鳥居の片方の柱とその上の笠石の半分だけとなっています。
歴史
山王神社の前身は1648年(慶安元年)に創建された「円福寺」です。その後、1868年(明治元年)に「山王神社(日吉神社)」と改めれられ村社に列しました。その後県社の皇大神宮に合祀されたことにより、現在へと続くの山王神社が創祀されました。別名として、浦上皇大神宮や山王日吉神社とも称します。昭和20年8月9日の長崎市への原爆投下によって、爆心地から800メートルという至近距離で被爆し、一本柱鳥居と呼ばれる片方の柱だけで立っている二の鳥居や死滅する寸前の被害を受けながらも一命を取り留め、その後豊かな緑を取り戻した大楠が被爆の歴史を伝えています。
見どころ
この、被爆をしながらも被爆前の姿をとどめている山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)と樹齢500~600年の被爆クスノキとの呼ばれる大楠は、原爆遺跡として貴重な存在となっています。山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)は爆心地側の半分が被爆の際の爆風によって吹き飛ばされ、その際に吹き飛ばされずに残った上部の笠石も風圧によって約13度ねじれ曲がったものの、片方の柱に残った形で姿を留めました。また、原爆の熱線によって表面が剥離し、爆心地側の面のみ、刻まれていた奉納者の氏名の一部が読めなくなっており、被爆時の威力を伝える存在として山王神社の見学スポットとなっています。