アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所
学生最後、この時期に1人で訪問するという価値を信じて、全く未知のポーランドを訪ねた。そして、その価値がアウシュビッツにあった。
残酷な過去から目を背けるのではなく、あえて向き合う。実際に自分... 続きを読むの足で出向いて、当時の人たちに想いを馳せながら、彼らと隣り合わせになりながら、同じ環境で、同じ場所で、雪の降る凍てつく空気の中、当時の状況を想像してみるだけで、言葉には表せない気持ちになった。
彼らに突きつけられた現実を想像し、彼らがこの場所で、自分がいる全く同じ場所で、想像すらできない辛い思いを強いられていたと考えただけで、自然と涙が出てくる。
当時、どこに行き、何をしに行くかもわからないまま、最低限の荷物を持っていくことを許可されていたため、自分の大切なものだけを手にして家を出る。運命はすでに決まっているというのに。
おびただしい数の靴、歯ブラシ、メガネ。カバンには名前や住所が書かれている。
数多くのユダヤ人がガス室で殺されたというのは誰もが知っている事実。それだけではなく、被害者は様々な国から強制的に移送されたこと、移動に使われた列車、狭く暗く飲み物食べ物も与えられない中、一つの車両に100人以上が詰められ、移動中に亡くなってしまった方もたくさんいること。やっとのことで到着したと思ったら、そこでただちに命の選別が行われたこと。
実際にアウシュビッツに足を運ばないと知ることすらなかった過去の自分の無知さを思い知らされた。
アウシュビッツに向かうバスの道中、当時の彼らはいったいどんな思いで列車に詰められていたのだろう、今自分が通っている同じ道を彼らも進んでいたのだろうか、と思うだけで、涙が止まらなくなった。
2度と起こしてはならない人類史上最悪の歴史、負の遺産。決して”楽しい思い出”になるわけではないが、人生で必ず行くべき場所の一つだと思う。
自分と同じ人間が犯した過ちであるという事実を忘れてはいけないし、被害者である何の罪もない110万人以上の方々、彼らの魂を決して忘れてはいけないし、今の時代に生きる私たちが、それを受け継いで後世に伝えていく。私たちには大きな大きな役割と責任がある。
過去を忘れるということは、また同じことを繰り返すと同意。ただ今を楽しんで生きるだけでなく、過去の過ちから今を考える。わずかたった80年ほど前の出来事ということを忘れてはいけない。
だからこそアウシュビッツには訪れるべきであり、背けたくなる過去にこそ、視線を向けるべきだと改めて実感した。
映画やドキュメンタリー、教科書を読むだけではなく、実際に自分の足で訪れて、目で見て、肌で感じて、同じ道を歩いて、その時自分がどう思ったかを決して忘れずに、自分の胸の中にしまう、だけでなく誰かに伝えていくことが何よりも大切だと思う。
テレビや映画、教科書からだけでは感じることのできない「痛み」を感じることができ、実際に訪れること大きな価値を体感した。このツアーへの参加はその証である。
社会人目前の学生時代に、1人でアウシュビッツに来ることができたのは、何にも代えられない大切な思い出、そして財産となった。
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