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三十三間堂(蓮華王院)

4.28
「三十三間堂」は京都市東山区にある、正式名を「蓮華王院本堂」という仏堂で、南北に長大な本堂は国宝に指定されています。平安時代に後白河法皇が自身の離宮内に平清盛の資金協力を得て建造しました。南北の長さは120m、地上16m、東西は22mという壮大な建築物です。三十三間堂の名前は南北に長く伸びる建物の幅が三十三間(三十三柱間)あることから名づけられましたが、「間」とは、社寺建築の柱間の数を表し、三十三間堂の柱間寸法は一定ではなく、現在柱間として使われる京間・中京間・田舎間などとは違う独自な柱間だといわれています。
歴史
三十三間堂は、平安時代に後白河上皇が自身の離宮内に建造した仏堂です。権勢を誇った平清盛が資金協力をして1165年に完成しました。その外観の壮大さは圧巻ですが、堂内も素晴らしく、ご本尊の千手観音と、その両脇に50体の仏像を10段、計千体の千手観音立像が安置されていて、圧巻です。1249年(建長元年)に火災で焼失し、1266年(文永3年)には本堂のみが再建されました。消失する以前は朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様などが極彩色で飾られていたとのことです。

見どころ
三十三間堂は京都の東山区にあり、京都の玄関口であるJR京都駅から歩いても15分ぐらいと近いので、ぜひとも散歩がてらお立ち寄りください。平安時代末期の権力者である後白河上皇が、絶大な権勢と財力を誇った平清盛の資金援助で建立した寺院です。非常に壮大な建造物には驚きますが、それにもまして堂内の千体の千手観音像は圧倒的な迫力があります。また、手入れの行き届いた庭園には、清々しい空気がはりつめています。紅葉の時期は特に人気で多くの観光客が訪れます。

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三十三間堂(蓮華王院)の新着体験談

オープントップバス 開放感あふれるバスで二条城や西本願寺など名所を車窓観光<京都駅発>by おこしバス(京都定期観光バス)

簡単に京都観光

2025/11/14 ひとりで あん

オープンバスの良さを実感。夕方に到着してすぐ、1600〜観光。バスに乗ったままなので、疲れず、京都の雰囲気を味わうことができました。バス最高!

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ガイドさんが話が上手くて良かった

2025/11/08 ひとりで きょうさん

いやー歩くのがキツくバスで周りましたが
良かったです
一時間でたくさんお寺や神社を二階建てバスで見せて頂き楽しかったです
ガイドさんの説明もよく分かりまた乗りたい

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タイパ最高

2025/11/08 ひとりで 還暦ジイ

1時間の京都周遊バスツアーに参加。修学旅行以来の京都。一から概要を理解し次に備えるにはベストな選択と思いました。

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京都の旅のスタートにぴったり!

2025/11/01 カップル・夫婦 しげちゃん

バスは古くて、シートなどかなり傷んでましたが、それはそれで歴史を感じることができました!
運転手さんも、ガイドさんも気さくで感じの良い方々で、楽しい旅の始まりになりました!

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高い視点からの京都

2025/10/21 家族 シュウ

高い位置から見る京都市内は新鮮でした。ガイド説明も良かったです。次回は違うコースも行ってみたいです。

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気配りが最高

2025/07/19 家族 のん

京都の街並みを車窓から説明付き見学できるコースがあることを知り、即予約しました。
利用した日は、暑い暑い日でした。
若いガイドさんが、上手に楽しく分かりやすく説明してくれました。なるほどーと勉強になることも多々ありました。途中、凍ったおしぼ... 続きを読む

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「三十三間堂」は京都市東山区にある、正式名を「蓮華王院本堂」という仏堂で、南北に長大な本堂は国宝に指定されています。平安時代に後白河法皇が自身の離宮内に平清盛の資金協力を得て建造しました。南北の長さは120m、地上16m、東西は22mという壮大な建築物です。三十三間堂の名前は南北に長く伸びる建物の幅が三十三間(三十三柱間)あることから名づけられましたが、「間」とは、社寺建築の柱間の数を表し、三十三間堂の柱間寸法は一定ではなく、現在柱間として使われる京間・中京間・田舎間などとは違う独自な柱間だといわれています。